ひとすじのひかり

思いつくまま気の向くまま

「戦後」の記憶

もうすぐ終戦記念日

この時期になると太平洋戦争に関わる記事がたくさんでる。

もう昭和の時代の記憶すらない人たちもいるから、終戦特集みたいな記事ももうまもなく「遠い昔の自分に関係のない話」に思える人もたくさんいると思う。

 

わたしには、この時期になると思い出す光景がある。わたしが子どもだった昭和40年代には、繁華街に出ると、アジアの貧しい国でときおり出会うように物乞いがあちこちにいた。目の見えない人、手足を失った軍服を着た人たちが、わずかな小銭が入った空き缶を差し出すのを、「目を合わせないように」と言われて通り過ぎた。

みんながそうしていた。

 

そうして新しいビルが建ち、彼らがいた歩道橋が新しく建て替えられて、あの人たちはいなくなった。そしてわたしの記憶からも消えていった。

 

この豊かな社会を作ったのは、戦後を生き抜いた人たちだ。

貧困のつらさを思い知って、そこから脱しようと豊かさを目指して努力してきた。

 

でもわたしたちはその一面だけしかみていない。わたしたちはよく知らずに豊かさだけを享受しようと生きている。

 

蒔かれた種は、刈り取ることとなる。

 

太古の教えどおり、わたしたちは、収穫物をみて、蒔かれた種がどのようなものだったかを知ることができる。

 

わたしたちはわたしたちを取り巻く環境によくも悪くも影響を受けている。気づいていてもいなくても、わたしたちに都合のいい種だけを収穫できるわけではない。

今の社会は、畑にいばらやイラクサがはびこっているみたいだ。そしてお米や小麦だけを刈り取ったあと、そのチクチクした棘にうんざりしている感じがする。

 

今多くの人が感じている違和感は、たしかに過去に蒔かれた種の結果であるとわたしは確かに知っている。

 

わたしが蒔いた、無関心の種。

 

今の社会は、愛の種を育んできただけではない。上野駅には戦争孤児がたくさんいたというし、終戦後は東京にも連合軍向けの慰安所があったという。

その人たちは社会の無関心を思い知っているから、語らなかっただけで、事実がなかったわけではない。

 

今の社会はそんな過去の悲しみと、それに対する無関心の上にも成り立っているのだ。

わたしが子どもの頃(そして今も)蒔いた種。

 

あのとき、自分が生き残るために、他者を打ち捨ててきた。

その結果そうして生き延びて、もしかしたら誰かが得るはずだった豊かさを余分に受け取っていきてきたのかもしれない。

 

そんな痛みの記憶が通り過ぎていく、終戦記念日