いつか、ひとつの世界に
政治の世界では、国と国との縄張り争いが絶えないが、
わたしたちの心の国境は年々その存在が薄れつつあるように感じる。
私が最初に海外に出かけた40年以上前は、
日本の地方都市では外国人を町でみかけることもなかったから、
フランスで目の青いおじさんに声をかけられたのにびっくりして
泣いてしまったくらいだ。
時を経て、80年代の終わりにヨーロッパ一人旅にでかけたときは、
ずいぶん海外も身近になっていたけど、
安いチケットで行ける飛行機はまだ南回りでとてつもなく時間もかかり、
まだインターネットもケータイもなくて
(パソコン通信さえ普及する前で、携帯できないケータイだったころ)、
日本との連絡もエアメールか国際電話しかなかった。
だから、海外は物理的な距離も、心の距離も、とっても遠いところだった。
異国という言葉がしっくりした。
言葉が通じないときは辞書で確認しあったのも懐かしい思い出。
今ではスマホに話しかけたら、その場で翻訳してくれさえする。
行きたい場所の地図の確認だって、スマホで済む。
それどころか現地の画像まで確認できてしまう。
目に見える情報はほぼ、インターネットでアクセスできる。
すごい世界だ。
海外に友人を持つのは、文通できるだけの語学力と
マメさをあわせもった人でなければできなかったけど
、
今はSNSで簡単に繋がれる。しかも瞬時に。
友達の友達までSNSが紹介してくれて、
「友だちの友だちはみな友だち」は現実になろうとしている。
ヨーロッパでは通貨も統合され、仕事の国境も取り払う
壮大な取り組みがなされている。
現実的な問題はいろいろとあっても、すでにインターネットで実現している世界では、
もはや国境はなくなってしまったのだから、
現実世界もそうなっていくのは必然であるように思われる。
もしくは、現実世界の国境を維持するために、
もう一度バーチャルな世界に隔たりを作るしか
整合性は取れなくなってくるだろう。
今インターネットの世界では、瞬時にアフリカにも南米にも行けて、
そこでしか得られなかった情報を共有することができるのだ。
今まではほんの一握りの人だけの特権であったことが、今みなのものになりつつある。
政治の世界では、国境を一生懸命守ろうとしている。
でも庶民の世界にはもう国境はなくなってきている。
わたしたちが選ぶのはどちらの世界なのか。
情報が平等になると、格差は必然的になくなってくる。
情報の不平等によってもたらされていた格差は、時とともに埋まる。
そのとき、自分が権利を死守する側に回るのか、
その変化を受け入れ、歓迎する方に回るのか。
自分自身の生き方が問われているような気がする。